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福岡高等裁判所 平成元年(ネ)562号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

一  当事者の求めた裁判

控訴人は、「原判決を取消す。福岡地方裁判所小倉支部が同庁昭和六二年(リ)第七一四号配当事件につき作成した昭和六三年二月一六日原判決別紙配当表の順位二番を順位一番に変更し、控訴人に対する配当額を四七〇万九五〇〇円とする。訴訟費用は一、二審とも被控訴人の負担とする。」との、被控訴人は、主文同旨の、各判決を求めた。

二  当事者の事実上の主張

1  請求原因

(一)  控訴人は、船舶の製造、修理等を業とする会社である。

(二)  控訴人の債権

(1) 控訴人は、訴外東洋海運有限会社(以下「東洋海運」という。)から、昭和六一年一一月七日一四時ころ下関三菱造船所第一六岸壁付近で船底接触事故を起した同社所有の阿蘇丸の修繕を依頼され、同月一七日から三〇日にかけて修繕を行った結果、同社に対し金五二二万円の修繕代金債権を取得した。

(2) 阿蘇丸は、本件事故の当日、定係地の門司港を出港して、対岸の前記岸壁付近で船舶曳航作業に従事中に事故を起したが、右作業中のため直ちに避航できず、作業終了後定係地の門司港へ帰港のため航海中、船体振動、主機排気温度上昇を示し、航海継続に支障を生じたため、本件修繕を要したものである。従って、本件修繕工事は、同船の航海継続の必要のためであるから、控訴人が取得した本件修繕代金債権は商法八四二条六号にいう船舶先取特権によって担保される債権に該当する。

(3) 仮にそうでなくとも、右債権は、船舶(動産)の保存工事のために生じたのだから、民法三二一条一項にいう動産保存先取特権によって担保される債権である。

(三)  控訴人は、本件修繕代金債権を被担保債権とする商法八四二条六号の船舶先取特権の物上代位権の行使として、昭和六二年一月二七日、東洋海運が訴外住友海上火災保険株式会社(以下「訴外保険会社」という。)との間で締結していた阿蘇丸に関する第五種船舶保険契約により、本件事故により発生した保険金支払請求権(以下「本件保険金請求権」という。)を差押えた(福岡地方裁判所小倉支部昭和六二年(ナ)第一七号、以下「本件債権差押」という。)。

(四)  しかし、被控訴人も、東洋海運に対して有する求償金債権を担保するため、同社から、本件保険契約により東洋海運が取得する保険金支払請求権につき、昭和六一年一一月一〇日、訴外保険会社の承諾の上第一順位の質権(以下「本件質権」という。)の設定を受けたとして、昭和六二年三月九日、本件質権を被担保債権として、本件保険金請求権を差押えた(同裁判所支部同年(ナ)第一二〇号)。

そのため、本件債権差押事件の第三債務者である訴外保険会社は、右保険契約により東洋海運が取得する本件保険金請求権につき、その保険金確定額の内金四七〇万九五〇〇円を供託したので、同裁判所支部は、右供託金配当事件(昭和六二年(リ)第七一四号)の配当期日(昭和六三年二月一六日)において、原判決別紙配当表のとおり、質権者である被控訴人が船舶先取特権者である控訴人に優先するとして、被控訴人の求償金債権を順位一番とし、控訴人の本件修繕代金債権を順位二番として、配当表を作成した。

(五)  しかしながら、控訴人は、次のとおり、被控訴人に優先して配当を受ける権利を有するのに、これを看過して作成された本件配当表には過誤があり、変更されるべきである。

(1) 控訴人の船舶先取特権による物上代位権は被控訴人の質権に優先する。即ち、被控訴人の本件質権は権利質であるから、動産質に関する規定が準用される結果(民法三六二条二項)、民法三三四条により動産先取特権と同一の権利を有するに過ぎず、他方、船舶先取特権は、動産先取特権に優先するから(商法八四五条)、これと同一の権利である権利質に優先することになるところ、控訴人の本件船舶先取特権による物上代位権は右先取特権の代表物であるから、被控訴人の本件質権に優先する。

(2) 仮に、本件修繕代金債権に船舶先取特権が成立しないとすれば、前記のように動産保存の先取特権で担保される債権に当たるところ、この場合、次の事由により、右先取特権は本件質権に優先する。即ち、

イ 本件質権である権利質は、民法三六二条、三三四条、三三〇条一項により、右動産保存の先取特権に優先することになる。しかし、本件質権が設定された日は、遅くとも訴外保険会社の承諾が得られた日の昭和六一年一一月一〇日で、これは事故発生後であり、また右承諾につき確定日付が得られたのは控訴人の本件修繕工事が終了した後の五〇日目である昭和六二年一月一九日であった。従って、右の何れを基準時とするにしろ、被控訴人は、右の時点では本件事故の発生、本件修繕工事の必要ないし工事の存在、ひいては右修繕によって工事人たる控訴人に右質権に劣後する動産先取特権が発生ないし存在したことを当然知り又は知り得べきはずであった。特に、被控訴人の右善意、悪意の判断基準時は、確定日付を得た日とするのが合理的であり、右時点においては、被控訴人は、本件修繕工事が完了したことを当然に知っていたから、右動産先取特権が存在することをも充分承知していたのである。

ロ そうでなくとも、控訴人の行った本件保存行為(修繕工事)は、被控訴人が本件質権の設定後、控訴人に優先する債権者である被控訴人の担保維持のためなされたものである。

従って、同三三〇条二項前段(イの場合)又は後段(ロの場合)により、控訴人の先取特権が優先する結果となるから、右先取特権の代表物である本件物上代位権も被控訴人の質権に優先する。

(3) 仮にそうでなくとも、被控訴人の本件質権設定に関する訴外保険会社の承諾は、分損保険金が一件につき三〇〇万円以内で、かつこれが当該船舶の修理、回復等担保価値の復元に充てられた場合に限り、保険会社から直接被保険者等に支払交付しても差支えない旨の合意(以下「直払い合意」という。)のもとになされたから、本件質権は、修繕費が三〇〇万円を超える部分の保険金支払請求権のみについて設定されたもので、同額以下の保険金部分については質権の効力は及ばないものと解すべきである。何故なら、本件保険契約は船舶の全損のほか一部損傷即ち分損の場合も含む第五種保険であるところ、同保険で修繕を要する分損の場合には、当然修繕による担保価値の回復が図られ、その修繕代金債権の発生が当然に予測されるはずで、この債権は、担保価値の回復と密接不可分の関係にあることなどからして、三〇〇万円の金額の範囲内については、被控訴人の質権の担保的効力は及ばず、控訴人の先取特権に基づく物上代位権による差押えのみが効力を有する。

(六)  よって、本件配当表について、前記のとおりに変更を求める。

2  請求原因に対する認否

(一)  請求原因(一)は認める。

(二)  同(二)の(1)の事実のうち、本件事故の発生は認め、その余は知らない。

(三)  同(二)の(2)の事実のうち、阿蘇丸が門司港を出港し対岸の岸壁付近で本件事故を起した点は認めるが、その余は否認ないし争う。

船舶先取特権が他の先取特権等に優先する担保権としての地位を与えられているのは、船舶が航海中、航海継続不能、帰港困難、ひいては船舶の存在自体が危険に陥った場合に、その危険からの脱出に貢献した債権に対しては、他の先取特権といえども、担保物たる船舶の保存という点で恩恵を受けていることによるものである。従って商法八四二条六号にいう「航海継続ノ必要」との概念は、相当遠隔地で発生した重大な事故によって航海の継続が不可能になった場合を意味するのである。

本件は右のような事例に該当しない。即ち、阿蘇丸は、クレーン船天菱丸を対岸の下関の三菱造船所第一六号岸壁に曳航のため、定係地の門司港を事故当日の七時三〇分に出港し、同岸壁付近で回頭中に船底に衝撃を感じたが、そのまま航行して天菱丸を無事同岸壁に係船し、その後に船内を調査したが、浸水その他異常はなく航海に支障がないとして、同日一六時から再度天菱丸を同一二号岸壁に曳航、係船し、一六時五〇分に作業を終了したのである。従って、阿蘇丸が何等かの損傷を負ったことは認められるが、定係地の門司港に帰港することには何等の支障もなかったのだから、控訴人が阿蘇丸にした修繕工事は、同日の天菱丸曳航という航海を継続する必要からではなく、その後の別の航海のためにされたもので、商法八四二条六号にいう船舶先取特権には該当しない。

(四)  同(二)の(3)は否認ないし争う。

(五)  同(三)及び(四)の事実は認める。

(六)  同(五)は全て否認ないし争う。

(1) 同(1)、(2)について

イ 保険金債権は、修繕工事等とは別途の保険契約によって発生するものであり、修繕工事代金債権のために物上代位の対象物となるものではない。

仮に、控訴人の本件修繕代金債権が船舶先取特権ないし動産保存の先取特権に該当するとしても、それらが優先的に担保される目的物は修繕の対象であった船舶の阿蘇丸自体であるのに対し、被控訴人が有する担保(質権)の目的物は本件保険金支払請求権であって、その担保目的物を異にして、当然にはその間に優先順位が問題となることはない。また、被控訴人の担保物たる本件保険金債権は、船舶の損傷という保険事故によって発生するのであり、船舶の修繕工事によって発生するものではない。従って、右保険金債権上の質権が右修繕工事によって恩恵を受けることもないから、船舶ないし動産保存の各先取特権に優先されるべき筋合いにもならない。

ロ 被控訴人の質権と優先順位が問題とされるのは、控訴人の右先取特権による物上代位権が行使された場合であり、その場合、物上代位権が先取特権の代表物だからといって、当然にその先取特権と本件質権との優先順位によって決定されるものではない。

(2) 同(3)について

本件質権設定契約においては、分損で保険金額(損害額)が三〇〇万円以内の少額の場合で、修理等担保価値の回復費用に充てられたときは、例外的に保険金を質権設定者等に払ってよいが、三〇〇万円を超えるときは原則に戻り、質権者が保険金から優先弁済を受ける旨が定められているに過ぎない。

3  抗弁

(一)  被控訴人は、前記1の(四)のとおり、昭和六一年一一月一〇日、東洋海運との間で本件質権の設定契約を締結し、同日訴外保険会社の承諾を得た。

(二)  物上代位性排斥の合意

(1) 船舶保険契約を締結するか否かは船舶所有者の自由意思に委ねられているから、船舶目的の先取特権者は常に保険金債権を物上代位の対象として期待しうるものではない。従って、保険金債権を物上代位の対象に供するか否かは、本来保険契約に際しての契約当事者の意思によって決められるものであり、保険契約者が明示の意思表示をもって物上代位を排斥している場合には、その意思表示は有効であり、保険金債権には物上代位性がない。

訴外保険会社が本件質権設定に関して承諾するに際し、東洋海運は同保険会社に直払い合意の申出をし、同社はこれを承諾しているものであり、右は分損金の額が三〇〇万円を超える場合には、保険金債権に対しての物上代位性を排斥することを明示しているものである。

そうして、本件保険金債権の額は金五一二万円であるから、右債権には物上代位性がなく、控訴人の物上代位権の行使は効力を有しない。

(三)  被控訴人は、本件質権設定契約について、前記(一)のとおり訴外保険会社の承諾を得ていたが、更に、昭和六二年一月一九日、右承諾について確定日付を取得した。他方、控訴人の本件債権による差押命令が第三債務者である訴外保険会社に送達されたのは同月二八日である。従って、被控訴人の本件質権は、控訴人の物上代位権より先に第三者への対抗力を具備しており、優先順位を有する。

4  抗弁に対する認否、主張

(一)  抗弁(一)の質権設定及び主張の日に承諾があった点は認めるが、その設定日時は知らない。

(二)  同(二)のうち、主張の直払い合意がなされた事実は認め、その余は争う。

(三)  同(三)のうち、被控訴人が主張の日に確定日付を具備したこと、控訴人の債権差押えの点は認めるが、その余は争う。

控訴人の先取特権は、船舶又は動産保存の先取特権のいずれであれ、阿蘇丸の本件修繕を完了した時点即ち昭和六一年一一月三〇日に、特に公示を必要とせずに第三者対抗要件を取得しているから、控訴人は、被控訴人が確定日付を得た日より以前に対抗要件を具備し、被控訴人に優先する先取特権を取得している。

控訴人が先取特権の物上代位権の行使として要求される差押えとして、本件保険金債権を差押えたのは、確かに右確定日付の後であったが、差押えは先取特権の成立要件でも対抗要件でもなく、差押え債権の特定性ないし先取特権の優先権を保全する意味を有するに過ぎず、差押えによって保全された優先弁済権の対抗要件自体は、担保権のそれによるべきである。

三  証拠関係〈省略〉

理由

一  控訴人が船舶の修理等を業とする会社であること、東洋海運所有の阿蘇丸が、昭和六一年一一月七日一四時ころ、下関三菱造船所第一六岸壁付近で船底接触事故を起したことについては、当事者間に争いはない。また、〈証拠〉によれば、控訴人が東洋海運の依頼により、同月一七日から阿蘇丸の船底事故による損傷の修繕をし、同月三〇日修繕工事を完了したこと、その結果、控訴人は同社に対し修繕代金債権五一二万円を取得したことが認められる。

二  債権差押及び配当表の作成について

控訴人は、本件修繕代金債権を商法八四二条六号の船舶先取特権で担保される債権に該当するものとして、これを被担保債権とする船舶先取特権の物上代位権に基づき、本件保険金請求権に対して債権差押の申立をし、昭和六二年一月二七日差押命令を得たこと、他方、被控訴人も、被控訴人の東洋海運に対して有する求償金債権を被担保債権とする本件質権に基づき、同保険金請求権に対して債権差押命令の申立をし、同年三月九日右差押命令を得たこと、そこで訴外保険会社が本件保険金債権の確定額を供託したことにより、執行裁判所は、被控訴人の本件質権が優先順位であるとして本件配当表を作成したこと、以上の事実(請求原因三、四)については当事者間に争いはない。

三  船舶先取特権の成否について

控訴人は、本件修繕代金債権が商法八四二条六号の船舶先取特権で担保される債権に該当する旨主張するので、先ずこの点につき検討する。

1  前記争いのない事実に、〈証拠〉によれば、次の事実が認められる。

(一)  阿蘇丸は、総トン数四六・七九トン、鋼鉄製の曳船で、北九州市を船籍港、同市門司区内の門司港西海岸を定係地、関門及び北九州港一帯の内洋を航行区域とし、昭和四二年の進水以来、主として右定係地の対岸にある下関市江ノ浦にある三菱造船所の依頼による曳航に従事してきた。

(二)  阿蘇丸は、本件事故当日の昭和六一年一一月七日七時三〇分ころ、定係地の門司港西海岸を出港し、八時ころ対岸の三菱造船所岸壁近くにある船島(厳流島)に到着、一三時一五分ころクレーン船天菱九を曳航して同造船所岸壁に向い、一四時ころ同造船所第一六岸壁に着岸すべく同付近で回頭中、船底を浅瀬に接触させた。船長は、接触で衝撃は感じたものの曳船中で避航できず、そのまま同所を航過し、天菱丸を同岸壁に係船したうえで船内を調査したが、浸水等の異常もなかったので航海に支障がないと判断し、一六時ころ更に天菱丸を曳船し、一六時五〇分ころ最終目的の同所第一二岸壁に係船し、同日の作業を終了した。

(三)  阿蘇丸は、その後の航海中において、船体が振動し、主機排気温度も上昇するため、船底外板等に何等かの損傷があるものとされ、修繕のため自力で控訴人のドックまで航行した。

なお、三菱造船所の前記岸壁から同船の定係地である門司港西海岸までは、西方向に二・五キロメートル程度、同岸壁から控訴人のドックのある同市若松区藤ノ木までは、逆の東方向約二〇キロメートルで八倍の距離がある。

(四)  阿蘇丸は、控訴人のドックに同月一七日入渠(上架)した。船底を調査の結果、主たる損傷として、プロペラの損傷及び船底二ケ所のへこみが発見され、同日から同月三〇日まで修繕工事がされ、その工事費総額は五二二万円であった(これには、六日分の滞架料が計上されている。)。なお、監督官庁である九州運輸局長に対する本件事故の報告は同月二〇日に、訴外保険会社に対する報告は同月一七日に、それぞれされた。

以上の事実が認められ、右認定を左右する証拠はない。右によれば、阿蘇丸は事故当日定係地の門司港西海岸に帰港中、船体に異常が確認されたことは認められる。ただ、同日の右帰港途中で、その修繕のため控訴人のドックへ直接航行したかについては、これを認めるに足りる証拠はなく、その旨の控訴人の明確な主張もなされていない。却って、右(四)に認定のとおり、阿蘇丸が右ドックに入渠された日も、修繕を開始された日も、事故後一〇日経過してのことであり、本件事故の監督官庁に対する報告や、訴外保険会社に対する報告も、同様一〇日以上経過してされている事実に照らせば、阿蘇丸が右ドックまで航行したのは、事故当日ではなく、その後数日ないし一〇日経過してのことで、その間は一旦定係地の門司港西海岸に帰港したものと推認される。

2  ところで、船舶先取特権は、何等の公示方法をとることなくして船舶抵当権に優先する強い効力を有する担保権であるから(商法八四九条)、これを広く認めることは船舶抵当権者の利益を害するだけでなく、船舶所有者の金融をも困難にし、ことに、同法八四二条六号による船舶先取特権に関していえば、これが同条七号の船員の給料債権等による先取特権にも優先する強力なものであることや、通信、送金制度、支店、代理店制度の発達した今日の状況下においては、同号の先取特権を認めて債権者の保護を図る必要性が減少したこと等に鑑みて、船舶先取特権が認められる債権の範囲は厳格に解釈すべきとされる(最高裁昭和五九年三月二七日第三小判決・判例時報一一一六号一三三頁参照)。

しこうして、同条六号にいう「航海継続ノ必要ニ因リテ生シタル債権」とは、既に開始された航海を継続するに必要、不可欠な費用について生じた債権をいうのであって、新たな航海の開始に必要な債権はこれに含まれるものではないし、まして航海を終了し当該船籍港に帰港後に発生した債権までも含むものではないと解される。

3  これを本件についてみるに、前記認定のとおり、阿蘇丸の本件事故発生時の航海は、曳船作業のため、概略定係地の門司港西海岸から数キロ先の対岸までの往復であったこと(同船の日常的航海の態様である。)、同船は、本件事故の発生後船体を調査するも、航行に支障なしとして航行を継続のうえ予定の作業を終了し、その発生地点付近から定係地まで帰港中、事故による損傷が認識されたが、航行に支障はなく、自力で容易に定係地の港に帰港できたものであること、その数日ないし一〇日経過後、同船は修繕のため定係地を出港し、同船の船籍港と同じ北九州市に所在する控訴人のドックに入渠したこと、以上のとおりの事情にある。従って、本件修繕工事は、阿蘇丸のその後の新たな航海の必要のためになされたもので、同条号にいう「航海継続ノ必要」のためのものではないと解するのが相当である。この理は、仮に事故当日に帰港中、反転して修繕のため控訴人のドックに自力で航行したものであっても同様である。何故なら、本件航海は極めて近距離であったこと、航海終了地より数倍の距離の自力航行が可能であったこと、修繕地は本件船舶の定係地ではないがその船籍港に属すること等に照らせば、本件修繕が既に開始された当日の航海継続のため必要、不可欠のものであるとは考えられないからである(以上のように理解しなければ、同船の故障その他の修繕を要する工事は、敢えて定係地に帰港せず常に修繕地へ直行することにより、その殆んどが同号にいう船舶先取特権に該当することになりかねず、そうすれば、右特権が公示方法を要しないこととも相いまって、他の債権者に与える影響も無視できないものとなるし、当事者間での通謀や作為がなされ易く、その結果、第三者の権利を害するおそれもないとはいえない。)。

4  従って、本件修繕代金債権は商法八四二条六号の船舶先取特権で担保される債権に該当しないものと解すべきであるから、右先取特権の存在を前提とするその余の主張部分はいずれも失当であり、判断するまでもない。

四  動産保存の先取特権の成否について

前項に認定の事実に照らせば、本件修繕が阿蘇丸の保存、維持のためになされたこと、従って、本件修繕代金債権が控訴人の予備的主張である動産保存の先取特権(民法三二一条一項)により担保される債権に該当するものであることは明らかである。

五  配当異議事由の存否について

1  以上によれば、本件修繕代金債権が船舶先取特権で担保される債権であることを前提とする控訴人の異議事由は、その前提自体失当として理由がない。

2  そこで、被控訴人の求償金債権を担保する本件質権と、控訴人の本件修繕工事によって取得した修繕代金債権を被担保債権として、その物上代位権により差押えをした動産保存の先取特権との優劣について検討すべきことになる(なお、控訴人は船舶先取特権の物上代位権に基づいて本件債権差押をしたものではあるが、修繕費に関しては商法八四二条六号の船舶先取特権を特別法上のものとし、その一般法上の先取特権というべき動産保存の先取特権による代位権行使に必要な差押えについて、本件債権差押えをもってこれと同一ないし同視しうべきものとし、動産先取特権の物上代位権の行使に必要な差押えがあったものと解する。)。

(一)  〈証拠〉によれば、次の事実が認められる。

(1) 東洋海運は、毎年、訴外保険会社との間で、阿蘇丸について、沈没、座州、火災その他海上危険により生じる全損及び分損を保険する第五種船舶保険契約を締結し続けてきたものであるが、その保険金支払請求権については、被控訴人が昭和五九年七月二〇日付の東洋海運の訴外門司信用金庫に対する債務金九二三万余円を代位弁済したことにより取得した東洋海運に対する求償債権を担保するため、被控訴人に対して質権を設定してきた。

(2) 本件事故が発生した昭和六一年度も、事故前の八月一四日、期間一年、保険金額二〇〇〇万円の同保険契約を締結のうえ、被控訴人との間で同様の質権を設定することとし、一一月五日ころ訴外保険会社に質権設定の承諾を申出ていたところ、同月一〇日に右承諾が得られたので、同日をもって本件質権設定契約を成立させ、訴外保険会社の右承諾に関する確定日付ある証書は昭和六二年一月一九日に作成された。

(3) 本件修繕終了後、訴外保険会社は、保険契約による修繕費の船舶保険金額を金五一〇万円と決定し、これから未払保険料を差引いた金四七〇万九五〇〇円を前記のとおり供託し、被控訴人は、その質権実行として、本件保険金請求権の債権差押えをした。

(4) なお、本件質権設定の右承諾に際し、被控訴人及び東洋海運から訴外保険会社に対し、「分損保険金が一件につき三〇〇万円以内で、かつ、これが当該船舶の修理・回復等担保価値の復元に充てられる場合に限り、保険会社においてこれを直接被保険者又は保険契約に定められたてん補支払先に交付して差支えありません。」旨が表明され、これを了解のうえ前記の承諾がなされている。

右が認められ、これに反する証拠はない。

(二)  ところで、被控訴人は、本件のように、対象とされた船舶の毀損によって生じた損害保険金請求権には、先取特権による物上代位権は行使できない旨主張する。確かに右主張にも一理あるが、保険金が実質上右毀損の対価に相当し、修理等に際しても、その対価として担保され、取扱われているという現状にあること、先取特権の実効性や実質的公平等の観点から、これを肯定すべきものと解する。また、被控訴人は、本件質権設定の承諾に際し、被保険者たる東洋海運は訴外保険会社に対して、右(4)に記載の直払いの合意をしたが、これは分損保険金額が三〇〇万円を超える場合には、本件保険金請求権に対する物上代位を排斥する趣旨の合意であり、右合意は有効である旨を抗弁として主張するが、右直払い合意は、保険金請求権につき質権が設定されて保険会社がこれを承諾したものである場合に、保険金を質権者以外の者に支払うときは、右指名債権であるから、本来質権者の事前の支払指図ないし承諾を必要とするが、事故により船舶に毀損を生じ、速やかにその修繕を要するときに、その代金が三〇〇万円以下の小損害であるときに限り、代金支払を円滑にし、もって船舶の復元及びその価値の回復を図るためのものであり、このことは却って質権者の担保価値の保持、債権の円滑な回収に利することになるため合意されるものであり、直払い合意の右条項の文言に照らしても、主張のように三〇〇万円を超える分損の場合には、保険金請求権に対する物上代位性を排斥する趣旨を含むものとは到底解釈できない。従って、右抗弁を採用することはできない。

(三)  そこで、本件各担保権相互間の優先順位の主張について検討するに、右に認定した事実及び前記三で認定の各事実に照らせば、本件修繕代金債権は動産保存の先取特権により担保される債権であるところ、本件修繕工事は本件質権が設定された日(昭和六一年一一月一〇日)の後である同月三〇日ころ完了し、控訴人の本件修繕代金債権はそのころ取得したことが明らかである。ところで、本件質権と同じ権利質に関しては動産質の規定が準用され(民法三六二条二項)、右質権と動産先取特権とが競合する場合は、質権者は、同法三三四条、三三〇条一項により、第一順位の先取特権と同順位とされるのに対し、動産保存の先取特権は同条項で第二順位であり、従って質権者の後順位とされるところ、その担保目的物に対する保存行為が、第一順位者の先取特権ないし質権発生後に、それらの者のためにされた場合には、その順位は入れ替わり、保存行為者が優先することになると解される(同条二項)。

これを本件についてみるに、控訴人は、本件質権設定後に、阿蘇丸の保存のため本件修繕工事を行ったものであり、これは、ひいては阿蘇丸の損傷に関する本件保険金請求権を目的として設定された本件質権者である被控訴人のための保存行為ともみることができる。従って、一見、控訴人の物上代位権によって差押えされた動産保存の先取特権が本件質権に優先するかのごとくである。

(四)  しかしながら、前記のとおり本件は、船舶それ自体の差押え、配当等の執行の事案ではなく、保険金請求権を差押債権としての執行手続であり、その配当手続における被控訴人の保険金請求権に対する質権と、控訴人の物上代位権により同請求権に差押えをした動産保存の先取特権との間の優先順位を問題とすべき事案である。

ところで、民法三〇四条但書で、先取特権者が物上代位権を行使するためには物上代位の対象となる金銭その他の物の払渡又は引渡前に差押えしなければならない旨規定している。これは、差押えの対象である目的債権の特定性を保持して物上代位権の効力を保全するほか、目的債権を譲り受けるなどした第三者等が不測の損害を被ることを防止しようとする趣旨にでたものである(最高裁昭和六〇年七月一九日第二小判決・民集三九巻五号一三二六頁)。従って、先取特権者が物上代位権の行使によって目的債権を保全し、これに権利を有する他の第三者らに優先して該債権から弁済を受けるためには、該債権に対する差押えを必要とし、右差押えが他の債権者に対する優先効取得の要件であり、他の債権者への対抗要件としての機能を併有するものと解することができる。右に反する控訴人のこの点に関する主張は採用できない。

他方、権利質は、債権をそのまま処分する債権譲渡に類似し、同法三〇四条一項但書にいう払渡又は引渡に該当するものであり、その第三者に対する対抗要件は、民法三六四条、四六七条二項により確定日付ある通知書または承諾書の具備であることは明らかである。

(五)  そうすると、本件においては、控訴人の動産保存の先取特権と被控訴人の本件質権の優先順位は、その相互の対抗要件の問題、即ち、控訴人の先取特権の物上代位権行使としての本件債権差押え時期と、被控訴人の本件質権の確定日付ある承諾証書が具備された時期との先後によって解決すべきことになる。しかるところ、成立に争いがない甲第五号証によれば、控訴人の本件差押命令が第三債務者である訴外保険会社に送達されたのは昭和六二年一月二八日であることが認められ、他方、前記判示のとおり、被控訴人の本件質権設定についての同会社の確定日付ある承諾証書は、右送達に先立つ同月一九日に具備されているのである。

従って、本件配当手続においては、先に第三者対抗要件を備えた被控訴人の本件質権が、控訴人の代位権行使として差押をした動産保存の先取特権に優先すべきものであり、これに従って被控訴人の債権を先順位として作成された本件配当表は適法であって、この点に関する被控訴人の抗弁(三)は理由がある。

3  なお、控訴人は、前項一、4のとおりの直払い合意事項をもって、被控訴人の本件質権は、分損保険金が一件につき三〇〇万円を超える保険金支払請求部分についてのみ設定され、三〇〇万円以下の保険金部分については、右質権の効力は及ばない旨の主張をする。

しかし、同承諾書(前掲乙第二号証)の文面内容、全体の脈絡、直払い合意条項の文言等に照らすと、前説示のとおり、分損でかつその保険金額が三〇〇万円以下の少額で、しかもそれが修理費等船舶の価値回復費用に充てられる場合には、それが質権者の利益にも資することにもなるため、その場合に限って、例外として質権設定者(被保険者)等に直接支払うことを、質権者として許容する趣旨のものであり、その反面として金三〇〇万円を超える場合についてまで、その内の三〇〇万円以下の部分について直払い合意が存在するものではないと解されるのであり、ましてや三〇〇万円を超える部分のみに質権が設定されたものと解すべきものとは到底考えられない。現実の運用においても、右合意条項に従って東洋海運が訴外保険会社から保険金の直払いを受ける場合には、質権者である被控訴人の承認を必要とする運用がされていたのである(前掲証人古田の証言により成立が認められる甲第四号証、成立に争いがない乙第二〇号証により認める。)。

右主張も理由がない。

4  以上のとおりであり、控訴人の異議事由は全て理由がないことに帰する。

六  よって、控訴人の本件請求は理由がなく棄却すべきところ、これと結論を同じくする原判決は結局正当であり、本件控訴は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 高石博良 裁判官 川本隆 裁判官 牧弘二)

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